つぶやき・その3

あんまりマジなレスポンスが返ってくると困ったりもするので、こちらにひっそり。

娯楽作品内のバトル、戦闘においては、
血しぶきや肉体の損壊は残酷な描写として忌避される傾向があるけれど、
その配慮がゆえに、
「戦いは本来、残虐あるいは残酷な結末を敵味方にもたらすものという面も持っている」
という事実を、見る側の心理から欠落、消失させがちという効果も生み出している気がする。
ふと、そんなことを思いました。
あるいは、娯楽として楽しませるための、これも想定内の効果かもしれませんが。
ただ、創作内のまがい物、あるいは美化された戦争、戦闘にばかり触れる結果、
「現実の戦争、紛争、内戦に対して、甘い、見当はずれな認識しか出来ない」
ということになっている人はいそうだなあ、と。

というか、戦後70年も経って、戦争の記憶なんてすっかり風化しているし、
自分を含めた今を生きる日本人のほとんどが、
まがい物、あるいは美化された創作の形でしか戦争を知りませんよね。たぶん。
戦争体験のある家族親族がいるか、何かの機会に体験者から話を伺う、というのがせいぜいで。
そういった形でしか戦争を知らないってことは、それはそれで幸せ
なのかもしれませんが。
 
ただ、昨今の終戦記念番組にあるような、
戦争で命を落とした若者たちのドラマだとか、
悲劇、あるいは被害者のようにばかり見せてくるやり方にはなかなか抵抗を覚えてしまう方です。
命を落としもしましたが、同時に多くの命を奪ったというのも事実なのに、
そこに向き合おうとしていない、触れずにいようとしている感じがして。

・戦争が縁遠くなっている日本人(脚本家)では現実の戦争を描けない
とか
・現実通りに描くと今の日本人には受け止めきれない
・いろんな方面で物議を醸すから作りづらい、数字取りづらい
そんな理由もあるかもしれませんが。
かくいう自分も、受け止めきれる自信がない方。

以上。素人のぼやきなので、あまりつっつかないで頂ければ。

  • 最終更新:2015-02-15 13:45:26

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